『言葉』は難しい
『言葉と云うは 心の思いを響かして 声を顕すを云うなり』
「言葉」に乗ったその人の『心』が声になって顕れる。
同じ言葉でも、発する人の『心』によって響き方も変わってくる。
相手を思い、心が声になる時、優しい心と傲慢な心で同じ言葉を発した時、
全く違って伝わるんだと思う。
じゃぁその言葉を受けた側、はどう感じるんだろうか・・。
この『言葉と云うは〜』は、昨日の仕事のトラブルのことを考えていて、ふと、思い出した。
トラブルというのは、訪問介護スタッフが、利用者様の家族と話をした際、スタッフは多分、何気なく悪気もなく発した言葉が、ご家族の心を大きく傷つけ、10年以上関わってきたケアが簡単に打ち切りになったときいた。
言葉を発するスタッフの心を、受けるご家族。
どんな思いだったんだろう。
ご家族が長い期間の介護に疲れ、へとへとになっているのは知っていた。
ほんとに良く介護をしていたし、私が今まで訪問介護で関わった家族の中で、1番頑張ってきた家族じゃないかと思うくらい。
だからこそ、ご家族に言葉を選んで声をかけないといけないのに。
一番のケアラーのお嫁さんが、今までやってきたことを全否定された・・と思わせる言葉ってどんなんだろうか。
残念でならない。
言葉は、見えないけれど、時には鋭利な刃となって相手を傷つけることは多々有る。
今問題になっている、いじめもそう。
発する側は、悪いことなんて思わずに、受けた側は最悪自殺するぐらいまでおいこまれることがある。
言葉を使い、相手に思いを伝えるということ。
簡単なようで難しい。
言葉、これに音を乗せると音楽になる。
一時期、jazzsingerを目指していた時期もあって、結局あきらめたけれど・・。
歌い手の心の思いを全身で発したエナジーを、観客が受ける。
受けた側も、その感動って言葉にはならないくらいだし、幸せな気持ちになる。
その歌がきっかけで、人生がかわることもある。
コミュケーションツールとしての言葉。
バーバルコミュニケーション(言語的)ノンバーバルコミュニケーション(非言語的)がある。
バーバルコミュニケーションの会話に対し、ノンバーバルコミュニケーションは声や、表情や、振る舞いとかになる。
言葉以上に表情や振る舞いが相手に対し、印象が深く与えることもある。
日々学び心を磨き、表に出てくるものがいいものになるようになりたいと思う。
まだまだ・・成長しないとね。